倒幕を果たして明治新政府の成立に大きく貢献した、大久保利通。新政府では中心人物として一大改革に尽力し、日本近代化の礎を築いた。
しかし、その実績とは裏腹に、大久保はすこぶる不人気な人物でもある。「他人を支配する独裁者」「冷酷なリアリスト」「融通の利かない権力者」……。こんなイメージすら持たれているようだ。薩摩藩で幼少期をともにした同志の西郷隆盛が、死後も国民から英雄として慕われ続けたのとは対照的である。
大久保利通は、はたしてどんな人物だったのか。その実像を探る連載(毎週日曜日に配信予定)第16回は、薩摩藩が敵対していた長州藩を討伐する方針を一変させ、救済するに至った背景についてお届けする。
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<第15回までのあらすじ>
薩摩藩の郷中教育によって政治家として活躍する素地を形作った大久保利通(第1回)。21歳のときに父が島流しになり、貧苦にあえいだ(第2回)が、処分が解かれると、急逝した薩摩藩主・島津斉彬の弟、久光に取り入り(第3回)、島流しにあっていた西郷隆盛が戻ってこられるように説得、実現させた(第4回、第5回)。
薩摩藩の郷中教育によって政治家として活躍する素地を形作った大久保利通(第1回)。21歳のときに父が島流しになり、貧苦にあえいだ(第2回)が、処分が解かれると、急逝した薩摩藩主・島津斉彬の弟、久光に取り入り(第3回)、島流しにあっていた西郷隆盛が戻ってこられるように説得、実現させた(第4回、第5回)。
ところが、戻ってきた西郷は久光の上洛計画に反対。勝手な行動をとり、再び島流しとなる(第6回)。一方、久光は朝廷の信用を得ることに成功(第7回)。大久保は朝廷と手を組んで江戸幕府に改革を迫るため、朝廷側のキーマンである岩倉具視に「勅使派遣」を提案。それが受け入れられ、勅使には豪胆な公卿として知られる大原重徳が選ばれた(第8回)。得意満面な大久保を「生麦事件」という不測の事態が襲う(第9回)が、実務能力の高さをいかんなく発揮(第10回)し、その後の薩英戦争でも意外な健闘を見せ(第11回、第12回)、引き分けに持ち込んだ。勢いに乗る薩摩藩。だが、その前に立ちはだかった徳川慶喜の態度をきっかけに、大久保は倒幕の決意を固めていく(第13回、第14回)。閉塞した状況を打破するために尽力したのが、2度目の島流しになっていた西郷の復帰だった(第15回)。
勝海舟と西郷の出会い
人との出会いで、人生は変わる。西郷隆盛と出会っていなければ、大久保利通は薩摩藩から外に出る機会もなく生涯を終えたかもしれない。大久保は西郷のやり方を見習って、出世の道を切り拓いたからだ。
一方で、大久保と出会っていなければ、西郷は早くに自死を選んでいたとしても、不思議ではない。僧侶の月照と一緒に死のうとしたのに自分だけが生き残ってしまったとき、西郷は後を追って死のうとした。
しかし、大久保から「これからは国家のために命を使ってください」と激励を受けたことで、恥を忍んで生き延びる道を選んだ(第5回「自殺図った西郷隆盛に大久保がかけた胸刺す言葉」参照)。
大久保と西郷は郷里で幼少期をともに過ごすなかでお互いを知ることになったが、人生では時に初対面から圧倒されてしまうような出会いもある。西郷と幕臣の勝海舟との出会いが、まさにそうであった。
勝海舟はこんなふうに語っている。
「おれは、今までに天下で恐ろしいものを2人見た。それは、横井小楠と西郷南洲とだ」(『氷川清話』)
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