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社会主義協会の平和革命は、実はソ連の介入を前提にしたシナリオだった/佐藤優の情報術116

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佐藤優氏によるコラム。ビジネスパーソンに真の教養をお届け。【土曜日更新】

日本共産党系の民青(日本民主青年同盟)は、「暴力反対」をスローガンに掲げ、全共闘や新左翼の学生たちを「ニセ左翼暴力集団」と非難していた。しかし筆者のような同志社大学の新左翼系学生運動に1979〜85年に関与していた者からすると、民青は暴力的でかつ陰湿だった。

同志社には共産党員や民青同盟員はほとんどいない。神学部には1人もいなかった。他方、立命館大学は民青の全国的な拠点だった。立命館の学生が「同志社大学自治会連合」という旗を掲げ、同志社の今出川キャンパスに突入してくる。「暴力反対」というプラカードからはクギが飛び出している。それで殴りかかってくるのだ。

同志社には、同志社大学学友会(赤いヘルメットをかぶったいわゆる同志社ブント〈共産主義者同盟〉)と、神学部自治会(学友会傘下だが学友会とは一線を画していた)があった。ともに、キリスト教社会主義と新左翼マルクス主義とアナーキズムが混淆している。

神学部自治会はヘルメットも旗も黒で、旗には魚の絵が描いてあり、魚の腹にギリシア語でキリストと書いてある。あの時代の筆者たちの心象風景を表現した旗だった。神学部自治会は左翼のおきてに忠実だった。具体的には、左翼間のトラブルに国家権力は介入させない。つまり民青からいくら殴られてケガをしても、警察に告訴することは絶対にしない。

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