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アフガン侵攻の失敗はブレジネフもわかっていた 佐藤優の情報術・91年ソ連クーデター事件簿71

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ロシア共産党第2書記でクーデターの首謀者の1人だったイリイン氏は、アフガニスタン戦争でソ連は弱体化したと言う。その理由を筆者は詳しく聞いてみたくなった。

ソ連のアフガン侵攻

──なぜソ連は、アフガニスタンに介入したのでしょうか。1968年にチェコスロバキアにソ連が介入したときは、社会主義共同体の利益を守るという口実がありました。しかし、アフガニスタンは社会主義国ではありません。

「チェコスロバキアにも軍事介入などする必要はなかった。ブレジネフ自身は介入に対して慎重だった。『プラハの春』は社会主義体制内での民主化を求める運動で、資本主義への回帰を志向していなかった。そもそもチェコスロバキアは複数政党制で、一党体制のソ連とは国家構造も異なっていた。たしかあなたは、チェコ神学の専門家だったね」

──そうです。チェコでもスロバキアでも、教会の活動はソ連よりもはるかに自由でした。

「ソ連共産党指導部は共産主義イデオロギーに対して自信を持っていなかった。だから『プラハの春』の影響がソ連に及んで、イデオロギー的な多元化が生じるのをおそれたのだと思う。ソ連共産党の科学的共産主義という硬直した公認イデオロギーが、マルクス・レーニン主義の枠内でも多元的な思想が出てくることに耐えられなかった」

──しかし、ソ連では子どものときから徹底的なイデオロギー教育をしていたではないですか。

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