モスクワの商店から北朝鮮製商品が消えたのは、1988年9〜10月に行われたソウルオリンピックの頃からだ。当時、ソ連は韓国と外交関係を持っていなかった。しかし、ソ連国営テレビでもオリンピックの模様が放映された。北朝鮮が先進工業国で、韓国は米国の半植民地で遅れた農業国であるという、ソ連で従来伝えられていた韓国像が崩れた。
──イリインさん、北朝鮮製品が消え、韓国製品が現れるようになったのは88年秋のソウルオリンピックの頃でしたよね。ゴルバチョフの新思考外交と韓国の北方外交がうまくかみ合った頃です。
「そう、その頃だね。私は88年にソ連共産党プスコフ州第1書記になった。ペレストロイカがなければ、44歳の若手が州共産党組織のトップになることはなかった。ゴルバチョフがいなければ、私がロシア共産党第2書記になることも佐藤さんと知り合うこともなかった。その点ではゴルバチョフに感謝しないといけないね」
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