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日本は、かつての新左翼が持っていた知的創造力を体制内で生かすことができなかった/佐藤優の情報術、91年クーデター事件簿114

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佐藤優氏によるコラム。ビジネスパーソンに真の教養をお届け。【土曜日更新】

筆者は、高校生時代にマルクス主義に魅了された。しかし、それは日本共産党系の正統派マルクス主義でもなければ、新左翼過激派のトロツキズムなどの世界革命や暴力革命を慫慂(しょうよう)する思想でもなかった。筆者が魅力を覚えたのは、戦前から日本共産党と対立している労農派マルクス主義だった。

その特徴は、コミンテルン(共産主義インターナショナル)やソ連の権威に従うのではなく、自分の頭で考えてマルクス主義を理解するところにある。山川均氏、荒畑寒村氏、大森義太郎氏、向坂逸郎氏らが主要な論客だ。

また独自の資本論解釈を示した宇野弘蔵氏も労農派マルクス主義の系譜に属する。宇野氏は太平洋戦争後、マルクス『資本論』の言説で論理的な整合を欠く箇所については大胆に修正し、資本主義の内在的論理を捉えることができる経済原論に純化すべきであるという独自の資本論解釈を示した。

太平洋戦争後、労農派マルクス主義者は社会主義協会という理論集団を形成し、日本社会党左派のイデオロギーを形成した。筆者は高校2年生のときに社会党系の日本社会主義青年同盟(社青同)に加盟した。1976年のことだ。

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