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向坂逸郎氏は労働運動の限界を見据え、合法的かつ恐ろしい革命路線を考え出した/佐藤優の情報術115

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佐藤優氏によるコラム。ビジネスパーソンに真の教養をお届け。【土曜日更新】

今になって考えてみると、社会主義協会は恐ろしい組織だった。日本共産党のような前衛党をつくってもこの国では広がりを欠く。日本社会党は5万人程度しかいない小政党だ。議員たちは漠然と大資本の横暴を嫌っているだけで、マルクス・レーニン主義のような理論で武装しているわけではない。また社会党は総評(日本労働組合総評議会)を影響下に収める。

向坂逸郎氏率いる社会主義協会の恐ろしさ

社会主義協会共同代表の向坂逸郎氏にとって、1960年の三井三池炭鉱争議の敗北は手ひどい打撃だった。争議では死者も出て、武装闘争直前まで進んだ。戦後の最も緊張した労働運動だった。

聡明な向坂氏は、過激なサンジカリズム(労働組合主義)型の労働運動から社会主義へという道は不可能であると確信したのだと思う。また日本の保守政治を支えるのが日米安全保障条約という軍事同盟であることを深く自覚した。

共産党は、米国によって半占領下に置かれている状態にある日本を民族民主革命によって解放し、その後、社会主義革命を行うべきだと考えていた。しかし社会主義協会は、共産党が組織する民兵組織では米軍を放逐することはもとより自衛隊に対抗することすらできないと考えた。そして合法的かつ恐ろしい革命路線を考えた。

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