1988年5月に初めて会ったときから、筆者とミラン・オポチェンスキー氏(コメンスキー・プロテスタント神学大学=現カレル大学プロテスタント神学部教授)は親しくなり、年に3〜4回は直接会うようになった。
89年秋にオポチェンスキー氏は、世界改革派教会同盟(世界のカルヴァン派系の教会を統合する組織)総幹事になった。この組織には選挙で選ばれる議長がいるが、実権は総幹事が握っている。同氏は世界の改革派教会のトップになった。この組織の本部はスイスのジュネーヴにある。オポチェンスキー夫妻はプラハを離れ、ジュネーヴに住むようになった。
89年11月9日にベルリンの壁が崩壊した。その直後にチェコスロバキアでも大きな事件が起こった。その後、この国の社会主義体制が崩壊する「ビロード革命」のきっかけになった事件だ。これには歴史的経緯があるので、それについて若干説明することをお許し願いたい。
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