チェコスロバキアという国家には、人造的な要素があった。この国の建国の機関車役を果たしたトマシュ・ガリク・マサリク大統領の父親がスロバキア人、母親がチェコ人でなければ、チェコとスロバキアという、歴史的にも文化的にも、当然、宗教的にも異質な地域が1つの国家を形成することはなかったと思う。
マサリクはチェコスロバキアという新国家をつくるためには宗教的理念の復興が必要だとし、15世紀のヤン・フスの宗教改革の伝統をよみがえらせる必要があると考えた。マサリクはカトリック教徒で、カトリック教会はフスを異端としているため、彼はプロテスタントに改宗した。このときマサリクのプロテスタントへの改宗の儀式(転会式)を司式した牧師が、ミラン・オポチェンスキーの父親だった。ミランはヨゼフ・ルクル・フロマートカの弟子であるとともに、マサリク一族とも良好な関係を維持していた。
社会主義体制下のチェコスロバキアでは、このような人物は政治的に好ましくないと見なされていた。しかしミランは、スターリン主義に対しては批判的だったが社会主義体制には忠実だった。人が人を搾取する資本主義体制よりも、搾取が廃絶された社会主義体制のほうが進んでいると考えた。
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