話を1989年11月末のプラハに戻す。チェコスロバキアでは共産党の権威が失墜し、社会主義から資本主義への転換が行われるのが必至な状態だった。
──ミラン、結局、フロマートカ(チェコのプロテスタント神学者)が命懸けで闘った「プラハの春」にはどういう意味があったのだろうか。「人間の顔をした社会主義」を追求したことに意味はなかったのだろうか。
「難しい問題だ。僕は意味があったと思っている。人間が人間を搾取する資本主義の構造を転換するという社会主義の理念は、基本的に正しかったと思う」
──その点は僕も同じだ。しかしコメンスキー福音主義神学大学の神学生たちと話していても、社会主義的な平等理念に関しては冷ややかだ。人間の可能性を潰してしまうと忌避反応を示す。
「逆説的だけれども、資本主義時代のたいへんさを知らないからだよ。フス福音主義神学大学(第2次世界大戦前にあったコメンスキー福音主義神学大学の前身)の時代、この学校の学生は中産階級か地主の子どもに限られていた」
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