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チェコの反体制団体は民族問題に鈍感だった/佐藤優の情報術、91年クーデター事件簿109

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佐藤優氏によるコラム。ビジネスパーソンに真の教養をお届け。【土曜日更新】

ヤロスラフ・シムサ(Jaroslav Šimsa、1900年10月12日〜45年2月8日)は、チェコの哲学者でジャーナリストだ。チェコ兄弟団福音教会に属するプロテスタントで、神学者ヨゼフ・ルクル・フロマートカの影響を強く受けた。

ナチス・ドイツがチェコスロバキア国家を解体しチェコを占領すると、地下に潜り抵抗運動に従事した。40年2月27日、ゲシュタポ(秘密警察)に逮捕された。いくつかの刑務所をたらい回しにされた後、43年にダッハウの強制収容所に収容された。そこではミラン・オポチェンスキーの父、ブフミール・オポチェンスキーと同じ雑居房に収容された。

強制収容所での執筆と病死

獄中でもシムサは原稿を書き続けた。反ナチスの内容なので、当局に発見されれば原稿は没収され厳罰に処される。しかし、シムサやブフミールはチェコ人の看守を巧みに籠絡し、獄中でもある程度の自由を享受していたようだ。

45年初め、シムサはチフスにかかった。栄養失調状態で身体が弱っていた。ナチスの強制収容所での医療は、収容者に対する人体実験が中心だった。病気になった囚人にまともな治療はなされなかった。死んでしまったほうがナチスにとって都合がいい人たちだったからだ。

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