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実質的に初のペイオフ、外銀の東京支店を「特別清算」。企業や銀行に多額の損害、顕在化した外為決済リスク 90年代「危機の扉」③

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BCCI東京支店(1991年当時)
特別清算された東京港区のBCCI東京支店(1991年当時)  (写真:毎日新聞社/アフロ)

東邦相互銀行をめぐる救済合併協議がヤマ場にさしかかっていた1991年7月6日未明。大蔵省銀行局の課長補佐の電話がけたたましく鳴った。相手はロンドンの在英日本大使館員である。

BCCIが経営破綻

「BCCIが経営破綻した。あとはよろしく頼む」

その前日、ルクセンブルクに本店を置くバンク・オブ・クレジット・アンド・コマース・インターナショナル(BCCI)が不正経理で欧米の当局から営業停止命令を受けた。これに伴い、BCCIの東京支店の取り扱いが喫緊のテーマとして浮上した。

過去の金融政策・経済政策の検証に取り組む筆者が、当時の政策決定プロセスや当局者たちの人間模様に迫る。【月曜日更新】

BCCIはパキスタンの銀行家が72年、アブダビ首長から出資を得て設立した多国籍銀行である。

持ち株会社はルクセンブルクにあったが、本部はロンドンに置かれ、69カ国365拠点で営業していた。イスラム圏など第三世界向けの金融業務を中心に、日本にも86年に東京支店を開設し、企業向けの貿易金融を行っていた。

だが、80年代半ばの原油価格の低迷と造船不況で巨額の貸し倒れが発生、ロンドンの中央資金部もディーリングで巨額の損失を被る。経営陣は損失の隠蔽を画策し、簿外預金や架空貸し出し、自己株式の粉飾による操作を続けてきた。

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