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架空預金事件が東西で勃発し大蔵省銀行局長が警備対象のリスト入り、「バブルの闇と腐敗」極まれり 90年代「危機の扉」④

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東洋信用金庫本店(1991年撮影)
架空預金事件の舞台となった東洋信用金庫本店(1991年撮影)(撮影:東洋経済写真部)

1991年7月。東邦相互銀行の救済に初めて預金保険が使われたという衝撃は、その直後に発覚した金融不祥事によってかき消された。富士銀行(現みずほ銀行)や東洋信用金庫などで相次いだ架空預金事件である。まさにバブル崩壊を象徴する未曾有のスキャンダルであり、「銀行不倒神話」への深刻な一撃となった。

事件の発端は、伝説のディスコ「ジュリアナ東京」の開業を間近に控えた4月下旬、富士銀行の神田駅東支店で4枚の偽造の預金証書が見つかったことだ。総額は23億円で、これを担保にノンバンクから融資が引き出されていた。

過去の金融政策・経済政策の検証に取り組む筆者が、当時の政策決定プロセスや当局者たちの人間模様に迫る。【月曜日更新】

慌てて全支店を調査したところ、5月に日比谷、6月には赤坂でも見つかった。特に赤坂支店で発行された架空証書は46枚、総額2570億円にも上る。大蔵省銀行局幹部が「不正の金額が2桁違う」と驚愕した不祥事は7月25日に報道され、そのあと協和埼玉銀行、東海銀行でも相次いで発覚した。

銀行員が預金証書を偽造し、取引先の不動産業者がそれをノンバンクに持ち込んで不正に融資を引き出す手口は、地上げ批判で不動産融資が締め上げられていく中で編み出されたといわれる。ある当局者は、旧知の銀行員から「自分も支店時代に似たようなことをやりました」と打ち明けられ、言葉を失ったという。

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だが富士銀案件以上に世間にショックを与えたのが、8月8日に見つかった料亭女将(おかみ)による3420億円の架空預金だった。

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