1992年秋、『週刊東洋経済』誌上で繰り広げられた上智大学の岩田規久男教授と日銀の翁邦雄企画調査課長とのマネー論争は、その後30年に及ぶ金融政策論議の歴史的な“起点”となった。
バブル崩壊後の不況を抜け出すにはベースマネー(現金と日銀当座預金の合計)を管理し、量的緩和に踏み切るべきだと主張する岩田に対し、翁はその手法は非現実であり、現行の短期金利操作のほうが望ましいと反論し、論争は延々と続いた。
「今思えば、あの論争は時代遅れだった」
これに裁定者として登場したのが、当時東京大学助教授だった植田和男(現日銀総裁)である。
岩田と同じく、東大で小宮隆太郎の薫陶を受けた植田は、本誌92年12月12日号に寄稿し、「ベースマネー・コントロールは不可能ではないが、望ましくない」としつつ、「貨幣の供給量に中央銀行がもっと注意を払ったり、責任を持つべきであるという岩田氏の主張にも耳を傾けるべきだ」と、日銀にも注文をつけた。
一見「けんか両成敗」のようだが、全体としては翁の言い分に軍配を上げていた。岩田は後にBS日テレの番組で「どちらかというと翁氏寄りの印象を受けた。経済学者としてはベースマネーのコントロールは短期的にも長期的にもできると言うべきだった」と不満を口にした。





















無料会員登録はこちら
ログインはこちら