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3省庁が日銀を羽交い絞め、利上げへの道ははるか遠く/「若手の乱」不発に、バブル膨張を見過ごす バブルの終わり①

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竹下登首相(1988年2月撮影)
笑顔で中曽根康弘前首相を迎える竹下登首相(右)。1988年2月撮影(写真:共同)

平成バブルも破裂直前まで「過熱感はない」と言われていた

バブルは人知れず発生し、ひそかに膨張し、人々を熱狂させた直後、突然破裂する。

現在の株価や不動産価格について日銀は「過熱感はない」と繰り返すが、実は平成バブルの頃も破裂直前までそう言われていた。今週から、1990年前後のバブルの「急加速と大崩落」をもたらした政策要因を改めて検証する。

過去の金融政策・経済政策の検証に取り組む筆者が、当時の政策決定プロセスや当局者たちの人間模様に迫る。【月曜日更新】

日本経済は87年秋の世界的な株価急落(ブラックマンデー)にもびくともしなかった。春に決まった6兆円の緊急経済対策が動き出したこともあり、景気は急落直後を底に上昇に転じ、日経平均株価も、好調な企業収益を背景に88年春に暴落前の最高値を回復、その後も加速度的に上昇した。

だが、それでも日銀は利上げに動けない。同年1月の日米首脳会談の共同声明に「日銀は現行の政策スタンスを維持する(中略)ことに同意している」と盛り込まれ、利上げを封じられていたのだ。

当時大蔵省財務官だった行天豊雄は、筆者にこう語っている。

「米政府はブラックマンデーを29年の大恐慌の再来だと勘違いした。株価が急落したときには流動性の供給が必要だと思い込み、日本が金融を引き締めるなどとんでもないという話になった」

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