元大蔵省銀行局長の西村吉正が、自己資本の大切さを説くためによく使った話がある。明治の半ば、経営難に陥った三井銀行の改革に大ナタを振るった番頭格、中上川(なかみがわ)彦次郎の至言だ。「取付に對して支拂の義務を負ふ預金は、借金と何の異るところがあるか。借金を以て銀行營業の根本政策となすが如きは愚の骨頂である」(白柳秀湖『中上川彦次郎傳』)。
十分な自己資本もなく、ただ預金を貸し付けに回すことの危うさを、中上川は三井銀行の支店長会議で何度も繰り返したという。
第2次世界大戦後、自己資本比率は低下の一途をたどる
振り返れば、草創期の銀行の自己資本比率は高かった。19世紀末には何と50%を超え、その後徐々に低下したものの昭和金融恐慌の頃も20%ほどあった。分厚い自己資本こそが信用の証しだったのだ。
だが第2次世界大戦後、自己資本比率は低下の一途をたどる。高度成長で資金需要が高まる一方、護送船団行政と規制金利で利ザヤが保証されていたため、銀行経営の力点はもっぱら業容拡大に置かれ、資本拡充は後回しとなった。
西村は「昔は手持ちの金でやっていたが、元手だけでは十分な金融業務ができないので、どんどん元手を薄めていった」と言う。銀行の自己資本比率は1970年度末に5%、80年度末2.9%、85年度末2.5%と低下し続けた。























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