薩摩藩が幕末「スイカ売り決死隊」作った真剣な訳 大山巌、西郷従道など明治維新の英傑も名を連ねた

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薩英戦争の際に築かれた鹿児島県にある砲台跡(写真:skipinof/PIXTA)
倒幕を果たして明治新政府の成立に大きく貢献した、大久保利通。新政府では中心人物として一大改革に尽力し、日本近代化の礎を築いた。
しかし、その実績とは裏腹に、大久保はすこぶる不人気な人物でもある。「他人を支配する独裁者」「冷酷なリアリスト」「融通の利かない権力者」……。こんなイメージすら持たれているようだ。薩摩藩で幼少期をともにした同志の西郷隆盛が、死後も国民から英雄として慕われ続けたのとは対照的である。
大久保利通は、はたしてどんな人物だったのか。その実像を探る連載(毎週日曜日に配信予定)第13回は、薩英戦争をめぐる大久保のしたたかさについてお届けする。
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<第12回までのあらすじ>
薩摩藩の郷中教育によって政治家として活躍する素地を形作った大久保利通(第1回)。21歳のときに父が島流しになり、貧苦にあえいだ(第2回)が、処分が解かれると、急逝した薩摩藩主・島津斉彬の弟、久光に取り入り(第3回)、島流しにあっていた西郷隆盛が戻ってこられるように説得、実現させた(第4回第5回)。
ところが、戻ってきた西郷は久光の上洛計画に反対。勝手な行動をとり、再び島流しとなる(第6回)。一方、久光は朝廷の信用を得ることに成功(第7回)。大久保は朝廷と手を組んで江戸幕府に改革を迫るため、朝廷側のキーマンである岩倉具視に「勅使派遣」を提案。それが受け入れられ、勅使には豪胆な公卿として知られる大原重徳が選ばれた(第8回)。得意満面な大久保を「生麦事件」という不測の事態が襲う(第9回)が、実務能力の高さをいかんなく発揮(第10回)し、その後の薩英戦争でも意外な健闘を見せる(第11回第12回)。

偏見だらけのトンデモ奇襲計画

大国イギリスが、江戸幕府ではなく、1つの藩にすぎない薩摩藩と戦火を交えた「薩英戦争」。現代の私たちの感覚からすれば、あまりに無謀な気がしてしまうが、当時もそれは同じだった。そもそもイギリスは威嚇目的で軍艦を鹿児島へ向かわせただけで、戦争になるとは夢にも思っておらず、軍のなかには観光気分の者さえいた。

完全に油断しているイギリス軍に向かって、大久保利通の指示により薩摩藩が砲撃を開始。奇襲攻撃が功を奏して、序盤から有利な展開で戦闘を運ぶことができた。

これまで戦争に向けて準備をしてきた成果といえそうだが、開戦に至るまでには幾多の試行錯誤があり、とんでもないゲリラ計画もなかにはあった。イギリスを迎え撃つにあたって、薩摩藩内では、こんな奇策が提案されたという。

「外国人は牛を食べるらしいから、牛を集めておびき寄せる」「外国人は足の踵がないらしいから、上陸したところを後ろから押し倒す」

外国人に対する偏見がすさまじく失笑するほかないが、「まともにやって勝てる相手ではない」という認識は正しい。議論を重ねた結果、イギリスに一泡吹かせるべく、あるゲリラ作戦が決行されることとなった。それが「スイカ売り決死隊」である。

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