このころの幕府は、大老の井伊直弼が暗殺されたうえ(桜田門外の変)、後継となった老中の安藤信正も殺されている(坂下門外の変)。また、薩英戦争でイギリスとやり合ったことで、薩摩藩を評価する声が高まっており、幕府は勢いのある薩摩藩の要望をはねつけることができなかった。
大久保の思惑どおりに、薩摩藩は幕府から7万両をまんまと引き出している。その後、返済することなく踏み倒したことはいうまでもない。
ちなみに、肝心の生麦事件の犯人は引き渡されたのかといえば、薩摩藩が「逃亡中」としてうやむやにしてしまい、イギリス側もそれ以上、追及しなかった。
さらに、薩摩藩は幕府からぶんどったお金で賠償金を支払うにあたって、イギリスに1つの条件をつけている。
それは「軍艦購入の周旋をイギリスに引き受けてほしい」というもの。イギリス側は驚きながらも断る理由もなく、会談は途中から和やかなムードで進められることとなった。将来を見据えた大久保の意向が働いたに違いない。双方の実力を実感した薩摩とイギリスは、軍艦の購入手続きを通して距離を縮めていくことになるが、それはまだ先の話だ。
絶好調の薩摩藩に立ちふさがる意外な男
薩英戦争に引き分けた影響は、京にも及んだ。薩摩藩の存在感が再び強まり、パワーバランスが一変する。
焦った長州藩は三条実美らの公卿らと結び、「孝明天皇が大和行幸を行う際に、討幕の狼煙を上げる」と計画するが、勢いを失いつつあるときにバタバタすると、ろくなことはない。京都守護職の会津藩に不穏な動きを察知されてしまう。
文久3年8月18日(1863年9月30日)、会津藩と薩摩藩が中心となってクーデターを起こし、長州藩を京から排除することに成功する。世にいう「八月十八日の政変」である。
再び勢いを盛り返した薩摩藩だったが、大久保の前に意外な人物が立ちふさがる。その男とは、薩摩藩が長きにわたって味方に引き入れようとしてきた「徳川慶喜」だった。
(第14回につづく)
【参考文献】
大久保利通著『大久保利通文書』(マツノ書店)
勝田孫彌『大久保利通伝』(マツノ書店)
松本彦三郎『郷中教育の研究』(尚古集成館)
佐々木克監修『大久保利通』(講談社学術文庫)
佐々木克『大久保利通―明治維新と志の政治家 (日本史リブレット)』(山川出版社)
毛利敏彦『大久保利通―維新前夜の群像』(中央公論新社)
河合敦『大久保利通 西郷どんを屠った男』(徳間書店)
家近良樹『西郷隆盛 人を相手にせず、天を相手にせよ』 (ミネルヴァ書房)
渋沢栄一、守屋淳『現代語訳論語と算盤』(ちくま新書)
鹿児島県歴史資料センター黎明館 編『鹿児島県史料 玉里島津家史料』(鹿児島県)
安藤優一郎『島津久光の明治維新 西郷隆盛の“敵"であり続けた男の真実』(イースト・プレス)
萩原延壽『薩英戦争 遠い崖2 アーネスト・サトウ日記抄』 (朝日文庫)
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