幼いときは胃が弱くやせっぽちだった大久保利通。武術はできずとも、薩摩藩の郷中教育によって後に政治家として活躍する素地を形作った(第1回)。が、21歳のときに「お由羅騒動」と呼ばれるお家騒動によって、父が島流しになり、貧苦にあえぐ(第2回)。
絶望の中で入水自殺を図った西郷
何かと誤解の多い大久保利通の実像に迫るのが、本連載の目的である。だが一方で、大久保とは対照的に英雄視される西郷隆盛もまた、イメージ先行で語られやすい。
「私心を持たず、人情に厚く、包容力がある豪快な革命児」
いいイメージをわざわざ覆すことはないのかもしれないが、人間臭い実像がまた別の魅力を引き立たせてくれることがある。書簡を読み解いていくと、実際の西郷は繊細で、また猜疑心が強い一面もあったようだ。
西郷は、大老の井伊直弼による「安政の大獄」で命を狙われた月照を保護。故郷の鹿児島に連れ帰ろうとするも、薩摩藩に受け入れられず、絶望のなかで月照とともに海に身投げを決行する。
1人だけ死にきれずに生き残った西郷に対して、現場に駆けつけた大久保は、こんな言葉をかけた(『大久保利通伝』)。


















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