そんな西郷にとって、島で結婚した愛加那の存在は大きかったことだろう。島で西郷の世話をしたことが出会いのきっかけで、33歳の西郷が23歳の愛加那を妻に迎えた。2人は仲睦まじく、目の前でイチャイチャするので、周囲が目のやり場に困ったという。やがて西郷にとって最初の子どもである菊次郎が誕生している。
それでも夫婦間は対等な関係ではなかった。結婚して3年が経っても、西郷は愛加那のことを書簡で「召し使い置き候女」と記している。この時代に珍しい認識ではないが、西郷にとってあくまでも愛加那は現地妻にすぎなかった。
狩りや釣りを始めるなど島の生活にも少しずつ慣れた西郷だったが、それでも島生活の始まりから一貫して、帰藩を願い続けたのである。
西郷を復帰させるべく久光を説得した大久保
そんな西郷の苦境を案じた大久保は、船が出るたびに衣類や生活必需品を送り届けた。大久保もまた過酷な謹慎生活を送っていたときに、西郷から同じように援助を受けている。当然のお返しだという気持ちもあっただろう。
それだけではない。大久保は頻繁に手紙で社会情勢を知らせている。西郷は島から帰藩する日を待ち望んだが、大久保も同じように、いや、もしかしたら本人以上に、西郷の藩政への復帰を熱望した。
文久元年(1861年)に小納戸頭取に任命されて久光の側近になると、大久保はすぐさま「西郷の帰藩を許してほしい」と働きかけている。このころには、精忠組も藩の中枢で存在感を持ち、おのずと大久保の発言力も高まった。時勢を見極めるのが得意な大久保のことだ。ここが勝負どころだと読んだに違いない。
今こそ自分が西郷を引き上げるんだ――。晴れて久光と対面を果たす西郷の姿を、大久保は何度も想像したことだろう。
だが、そのイメージが現実となったとき、西郷は久光の上洛計画をこき下ろしたうえで、とんでもない暴言を吐くことになる。
「あなたのようなジゴロ(田舎者)に、斉彬公の真似は無理でごわす 」
そんな未来など想像するはずもなく、大久保はひたすら久光を説得し続けたのであった。
(第6回につづく)
【参考文献】
大久保利通著『大久保利通文書』(マツノ書店)
勝田孫彌『大久保利通伝』(マツノ書店)
松本彦三郎『郷中教育の研究』(尚古集成館)
佐々木克監修『大久保利通』(講談社学術文庫)
佐々木克『大久保利通―明治維新と志の政治家 (日本史リブレット)』(山川出版社)
毛利敏彦『大久保利通―維新前夜の群像』(中央公論新社)
河合敦『大久保利通 西郷どんを屠った男』(徳間書店)
家近良樹『西郷隆盛 人を相手にせず、天を相手にせよ』 (ミネルヴァ書房)
渋沢栄一、守屋淳『現代語訳論語と算盤』(ちくま新書)
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