自殺図った西郷隆盛に大久保がかけた胸刺す言葉 豪快に見えて実はとても繊細だった男の素顔

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「月照があの世に逝き、あなた一人が生き残ったのは、決して偶然ではありません。天が、国家のために力を尽くさせようとしているのです。どうか、これからは自死など考えることなく、自重して国家のために尽くしてください」

西郷は、薩摩藩11代藩主で自身を引きたてた島津斉彬が死去したときも、墓前で自殺を図ろうとしている。大久保は3歳年下の後輩の身でありながら、「生き残ったからには、やるべきことをやれ」と、西郷がまたヤケを起こさないように釘を刺しながら、叱咤激励したのだ。

西郷にいろいろな意見を求めた大久保

その一方で、西郷が奄美大島に送られることになると、大久保は西郷に代わって若者の集団「精忠組」のリーダーを務めることへの不安に駆られたようだ。精忠組が暴発しそうになっていることに対して、大久保は西郷にいろいろと意見を求めている。

「幕府に召し捕られた有志に対し、幕府が無法なふるまいをしたときは、どう対処すべきだろうか」

大久保の5項目にもわたる質問に対して西郷は、島への出発直前の慌ただしい最中にもかかわらず、1つずつ懇切丁寧に答えた。脱藩して挙兵しようと「突出」を計画する精忠組への西郷の意見は、次に集約されている。

「傍観はするべきではない。われわれも立つべきである。しかし、事を急いで粗忽にふるまっては、事態は困難を伴うばかりである。慎重でないといけない」

やはり大久保にとって西郷は経験豊かな先輩だった……と改めて感じさせるような、やりとりだ。大久保は西郷のアドバイスに従い、精忠組が「突出」するのを抑えるべく策を練っている。

前回でも書いたように、幼少期をともにしたことから「竹馬の友」のように語られる西郷と大久保だが、実際のところは、兄弟のような屈託のない仲の良さではなかった。距離感を保った先輩後輩の関係であると同時に、互いの実力を認め合ったライバル関係といったほうがよいだろう。

暴走しがちな西郷のブレーキ役となった大久保だが、局面ごとにおいて、西郷の突破力をテコにして大胆な改革を実現させていくのだった。

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