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英雄たちにつきものの「生存説」
あれほどの英雄があっけなく、命を落とすはずがない――。そんな思いが湧いてくるからだろう。英雄の死には「生存説」がついて回る。
「牛若丸」の幼名で知られる源義経は、壇ノ浦の戦いで見事に平家を滅ぼすも、兄の頼朝と対立。朝敵として追われることになり、奥州平泉で自害している。
だが、実は自害せずに北海道へ逃げ、海を越えて大陸へ渡り、チンギス・カンになってモンゴル帝国を築いた……そんな言い伝えがある。そのため、北海道には「義経神社」があり、義経の木像が祭られている。
また、徳川家康を窮地に追い込み「日本一の兵」と言われた真田幸村にも、生存説がささやかれてきた。「大坂夏の陣」によって討ち死にしたとされる一方で、豊臣秀頼とともに大坂城を脱出し、鹿児島に逃れた……そんなうわさが広まることになる。
そして、明治維新の立役者でありながら、1877(明治10)年の西南戦争に敗北した西郷隆盛にも、やはり生存説が根強く唱えられ続けた。西郷の場合は、まだ生きているときから、ありえない伝説が広められている点で、ほかの人物たちとも一線を画しているといえるだろう。
西郷にまつわる伝説は、大きく分けて2つある。1つ目が「西郷が星になった」という「西郷星伝説」である。
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