どんな伝説かというと「毎晩1時ごろに辰巳の方向に現れる赤色の星を望遠鏡でよく観察すると、陸軍大将の制服を着た西郷隆盛の姿が見える」というもの。まるで月のウサギのような扱いである。
伝説が広まったきっかけは、浮世絵版画の「錦絵」である。江戸時代中期に生まれた錦絵は、明治初期には色も鮮やかなものになり、話題性のあるテーマで描かれるようになった。錦絵と欧米のニュースを合わせた「錦絵新聞」が多数発行されたのも、明治初期だ。
そんななか、月に浮かぶ西郷の姿を描いた錦絵が爆発的な人気を呼ぶ。そのうちに、物干し台から「西郷星」を見物しようとする人が続出したという。
西郷星を描いた錦絵は何種類もあるが、そのうちの1つが、1877(明治10)年の「鹿児島各県 西南珍聞」だ。まだ、西南戦争が終わっていなかったころから、西郷はすでに伝説化していたことがわかる。
西郷はロシアに逃亡している!?
そんな西郷だから、死後も突拍子もないうわさが広がることになる。それは「西南戦争の後も西郷は生き延びて、ロシアに脱出している」というものだ。なぜ、そんなうわさが流れたのか。西郷の死を知ったとき、大久保利通は大隈重信や伊藤博文にこんなふうに知らせている。
「西郷1人の首だけがない。探索中である。詳細はあとより」
政府軍の間では当初、自刃した西郷の首を発見することができなかった。そのため、「西郷が実はどこかで生きている」といううわさが広められることとなった。
それにしても、なぜロシアなのか。
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