
――性加害や性的搾取の問題に正面から切り込もうと考えたのはなぜでしょうか。
性加害の告発について、ずっと考えていたところがありました。多くの人の告発文を目にする中で、私自身が、個人的な人間関係や女性として生きてきた間に受けてきた傷や押し込めてきたものが、存在感を増してきました。
「あれは加害だったんだ」「もう消せない罪なんだ」と実感して、堪えがたいものになっていったんです。これは小説として書かなければならないとずっと思っていました。
今のこの段階で書けるものだけでいいから形にしないことには、自分も先に進めなくなってしまうという危機感や、自分の子供が大きくなっていく中で、いい加減自分の中での認識を形にしたいという焦りもありました。
――その時はわからなくて後になって傷つけられたと理解することもある。
今の社会に適応していこうとする力が正常性バイアスのように、「これも普通のことなんだ」「自分が受け入れるべきことなんだ」と認識させてしまうところがあると思うんです。
でも社会も人も変わっていき、自分が感じた違和感は許すべきものではなかったんだと気づく。社会の構造的な問題が見えにくくさせていた側面があるのではないでしょうか。
この数年で物差しは永遠に変化していくのだと実感しました。作品の中でも「10年後には今の正しさは間違いになっているだろう」と書いています。でもだからといって考え続けること、認識をアップデートしていくことを止めてはならないんです。
二項対立で捉えていては変わらない
――本作は性加害を受けた被害者側の視点だけでなく、性的搾取を告発された木戸、性暴力の加害者としてSNSで晒される五松など、加害者側の視点からも書かれています。
性加害や性的搾取は加害者の問題でもありますが、もっと大きな意味で捉えないといけません。社会全体が変化していかないと何も変わらないので。すごくかわいそうな人がいて、悪者を糾弾してみんなでやっつけて終わりという二項対立には絶対にしたくありませんでした。
今何が起きているのか、どういう思想と思想がぶつかり合って、どういう変化が起きて、これから自分たちはどこに向かおうとしているのかということを、俯瞰して体系的に見えるようにしたいと思ったときに、加害者側の視点はマストでした。