大久保家のトラウマ「お由羅騒動」
大久保利通がこれほど不人気な理由は、盟友の西郷隆盛を自刃に追いやった影響が大きい。だが、それだけではない。
薩摩藩の貧しい下級武士の家に生まれた西郷と大久保は、2人とも実力者に近づいて出世した点でよく似ている。西郷は薩摩藩11代藩主の島津斉彬に、そして、大久保は斉彬の異母弟にあたる島津久光に引き上げられて、中央の政治へとかかわっていく。
だが、西郷の道のりは挫折の連続だった。斉彬が急死して後ろ盾をなくすと、西郷は実に2回も島に流されている。大久保とともに倒幕を果たして明治政府を樹立したあとも、西郷は征韓論をめぐり首脳陣と対立して下野。不平士族に担がれて、西南戦争へと突入することになる。
一方の大久保はといえば、久光にチャンスを与えられて以来というもの、一度もドロップアウトせずに、のしあがっていった。明治政府が樹立されてからも、権力を奪われることなく、暗殺されるまで権勢を維持している。
不器用な西郷に、うまく立ち回った大久保。その構図が不人気の原因ともなっているが、大久保が一度つかんだ権力を手放さなかったのは、青年時代のトラウマがあったからだといわれている。それは「お由羅騒動」による父の失脚だ。
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