父の利世が島に流された期間は実に3年に及んだ。大久保家はその間、貧窮にあえぎ、食べるものもままならない状態へと追い込まれることになる。
「お恥ずかしい次第ですが、返済の支払いを延ばしてもらえないでしょうか」
大久保利通が父の知人に宛てた借金の手紙は、島に流された1年後の6月28日から、何通も続く。その文面からは生活の苦しさが伝わってくる。刀を担保にして借り入れをしても、まだ足りずに、家財まで切り売りしたようだ。
利通自身も半年にわたって外出を禁じられたため、ひたすら読書に励みながら、いつか来るはずの夜明けを待ち続けた。
その間、利通がどんな思いでいたかはわからない。だが、別れ際の父の悠然とした態度は心にいつまでも残っていたことだろう。いよいよ島流しにされるとき、父は2人の役人に対してこんなことを言った(『大久保利通伝』、現代語訳は筆者)。
「お前たち油断しないほうがいいぞ。私は隙を見て逃げるかもしれないからな」
強がり以外の何物でもないが、窮地に陥っても威勢のよさを失わない父を見て、利通も奮い立つ気持ちがしたのではないだろうか。
祖父もかつてお家騒動で苦境を味わった
また幼き自分に教えを授けてくれた、母方の祖父にあたる皆吉鳳徳(みなよし・ほうとく)のことも思い出されたかもしれない。蘭学に優れていた鳳徳は、驚くべきことに独学で西洋型帆船の模型を完成。海防を担うべく薩摩藩に重用されようとしていた。
だが、鳳徳もまた薩摩藩のお家騒動に巻き込まれている(「近思録崩れ」)。鳳徳は島流しにはされなかったものの、30代で蟄居という憂き目にあった。
蟄居が解けたあと、鳳徳は藩に仕えることを拒否。頭を剃りあげて、牛の背中にまたがり、市中を闊歩したというから、相当な奇人である。利通が8歳のときに、鳳徳が亡くなるが、その生き様は父と同様に、心に刻まれたに違いない。
祖父は理不尽な蟄居を乗り越えて自由人としての人生をまっとうし、父は今まさに孤島で一人、不遇を受け入れて歯を食いしばっている。自分だってやれるはずだ……。
そうして逆境に立ち向かいながらも、大久保の胸には、こんな思いも去来したのではないか。権力者の側に立たないことには、祖父や父、そして今の自分のように、理不尽さに苦しめられ続けることになる、と。
西郷の援助も受けながら、極貧時代を乗り越えた大久保。やがて「薩摩の国父」となる久光の後ろ盾を得ながら、大きく飛躍することになる。
(第3回につづく)
【参考文献】
大久保利通著『大久保利通文書』(マツノ書店)
勝田孫彌『大久保利通伝』(マツノ書店)
松本彦三郎『郷中教育の研究』(尚古集成館)
佐々木克監修『大久保利通』(講談社学術文庫)
佐々木克『大久保利通―明治維新と志の政治家(日本史リブレット)』(山川出版社)
毛利敏彦『大久保利通―維新前夜の群像』(中央公論新社)
河合敦『大久保利通 西郷どんを屠った男』(徳間書店)
家近良樹『西郷隆盛 人を相手にせず、天を相手にせよ』 (ミネルヴァ書房)
渋沢栄一著、守屋淳翻訳『現代語訳 論語と算盤』(ちくま新書)
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