作戦の内容は、薩摩藩士がスイカ売りに変装して、艦隊に乗り込んでイギリス船員を切りつけるというものだ。
実際に数人の薩摩藩士がスイカ売りに扮して、イギリス艦隊のユーリアス号に乗り込んだ。同時にほかの6隻に対しても「偽スイカ売り」が小舟に乗って、イギリス艦隊へと乗り移ろうとする。
ユーリアス号に潜入した薩摩藩士たちが、攻撃の指令を待つものの、なかなか合図が出されない。
しびれを切らして、実行しようとすると、小舟が近づいてきて「待った」のサインが示される。ユーリアス号以外の6隻では、突如現れたスイカ売りの正体を見抜かれてしまい、乗船できなかったのだ。
むなしく失敗に終わった「スイカ売り決死隊」作戦だが、このアイデアは、生麦事件でリチャードソンを殺害した奈良原喜左衛門と海江田信義の2人が、久光から命じられてひねり出した案だった。マヌケな内容とは裏腹に、かなり真剣に練られた作戦だったのである。
スイカ売り決死隊には、大山巌、伊東祐亨、西郷従道らも名を連ねている。いずれも明治維新後に活躍する面々だ。新しい時代を迎えたときに、彼らがこの過去をどんなふうに振り返ったのかは興味深いところである。
大久保の指揮の下、できることはすべてやった
そんなトンデモ作戦を決行して失敗しつつも、突然の砲撃によって開戦に踏み切り、イニシアチブをとった薩摩藩だったが、やがてイギリス軍も態勢を整えていく。反撃の口火を切ったのはユーリアス号で、ほかのイギリス艦隊も続いて薩摩藩への砲撃を開始した。
特にイギリスが誇る最新式のアームストロング砲が、すさまじい威力を発揮する。初めて実戦で使ったために現場で不具合はあったものの、薩摩藩の砲台を次々に撃破していった。さらにパーシューズ号からのロケット弾が市街地に着弾。大火災が引き起こされている。
そんな攻撃を受けながらも、薩摩藩は守備を固めつつ、折をみて反撃に出ている。ユーリアス号が砲台の射程距離に入ると、旗艦の甲板へ砲撃を命中させ、イギリス側の隊長や副長、数名の士官や砲員を死傷させた。
さらに、円筒型の樽をいくつも運び込んでは、湾外に据え付けて「破壊されても、まだまだ大砲がある」と見せかけている。軍備が劣る分、皆で知恵を出し合い、大久保の指揮の下、できることはすべてやったといえるだろう。過激派が久光を困らせてきた政治組織「誠忠組」が、この戦時において目覚ましい活躍を見せたのも、予想外のプラス要因となった。
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