朝鮮と秀吉とのあいだで板挟みになった宋氏は、苦しまぎれに「朝鮮が秀吉に従うことになった」と嘘をつきます。このことで秀吉は、一気に唐(明)に攻め込めると思い込み1592年、ついに朝鮮出兵を敢行します。
じつは出兵前に、さすがにまずいと思った宋氏の当主・宗義智と、義智とともに朝鮮の交渉を任されていた小西行長は、秀吉の出兵の引き延ばしを説得しようとしました。
しかし説得に失敗し結局「朝鮮側が土壇場で裏切った」と、さらに嘘を重ねてしまいます。このため日本側は、無条件で通過できると思っていた朝鮮半島で激しい戦いを行うことになりました。
精強な日本軍が1カ月で朝鮮の首都を陥落させた
それでも当時、世界でも最強の部類に入る陸戦部隊であった日本軍が20万を超える大軍で攻め入ったので、当初は連戦連勝で瞬く間に朝鮮の要衝を落としていきます。そして侵攻からわずか1カ月で首都漢府城を占拠しました。
さらに日本軍は北進を続けますが、ここで明が参戦し、戦況は膠着状態となります。日本軍、明・朝鮮連合軍ともに兵糧が切れて継戦能力が低下していきました。特に遠征軍である日本の兵站の問題は大きく、ここにきて両軍は和睦の道を探るようになります。
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