江戸幕府3代将軍・徳川家光の乳母であり、江戸260年の歴史を彩る大奥の基礎をつくり上げた春日局こと福は、1579年に生まれます。父は、明智光秀の重臣・斎藤利三です。
斎藤利三は武勇に優れており、その能力を光秀に高く評価され、それまで仕えていた稲葉一鉄から引き抜かれるような形で明智家の筆頭家老に迎えられました。この移籍には光秀と信長の間に一悶着あり、それが本能寺の変の一因にもなったと言われています。
また、利三の妹は四国の雄・長宗我部元親の正室でもありました。そのことから光秀が四国征伐の担当になると思われていたところ、これも信長に外されて光秀の不満は高まる一方に。利三は本人の意志と関係なく、光秀と信長の関係に大きな影響を与えていました。
父が本能寺の変の首謀者の一人に
利三自身は、本能寺の変の計画を光秀から打ち明けられたときに強く反対したようですが、光秀を翻心させることはできず、首謀者の一人として参加せざるを得ませんでした。本能寺の変そのものは成功しますが、その後の羽柴秀吉との山崎の戦いで敗れ、光秀は敗死、利三は捕縛され、六条河原で処刑されます。福、3歳の出来事です。
父の死により福は母方の実家であった稲葉家に引き取られ、三条西公国によって養育されます。福はこのころに公家の素養である書道・歌道・香道などを身につけたようです。その後、福は稲葉家の縁者であり、当時、小早川秀秋の家臣であった稲葉正成の妻となりました。
正成は関ヶ原の合戦のおり、徳川家康と内通し、秀秋を東軍に寝返らせることに成功します。しかし戦後、秀秋と関係が悪化し、美濃に蟄居。福は夫を支えますが、秀秋の死により小早川家が断絶すると正成は浪人することに。福、23歳の出来事です。
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