
ついに天下人となった家康
戦乱の世にピリオドを打ち、江戸幕府を開いた徳川家康。「大坂冬の陣」「大坂夏の陣」で豊臣家を亡ぼすと、名実ともに天下人となり、265年間も続く泰平の世の基礎を築くことになる。
天下人への道のりは平坦ではなく、様々な危機が家康を襲った。なかでも「家康三大危機」と言われている「三河一向一揆」「三方ヶ原の戦い」「伊賀越え」では命を落としてもおかしくはなかった。
三河一向一揆では、家康が一向宗徒に対して、強硬な手段をとったことで、家臣団が分裂。内部崩壊のピンチを招いた。
次の三方ヶ原の戦いでは、甲斐の武田信玄に惨敗。家康が家臣たちの忠告を聞かず、信玄の挑発に乗って浜松城から脱して、信玄軍の背後を突こうとしたところ、返り討ちにされてしまった。
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