家康のルーツとなる「松平親氏」とは?
関ヶ原の戦いで西軍を破った徳川家康は1603(慶長8)年、征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開く。この時点から、15代将軍の徳川慶喜が「大政奉還」を行い、朝廷に政権を返上するまでの実に265年間を「江戸時代」と呼ぶ。
太平の世を築いた大将軍――。そう称される家康が誕生したのは、天文11(1543)年12月26日のこと。家康の父は岡崎城主である松平広忠であり、家康は岡崎城で誕生している。
家康の祖先をたどっていくと、松平氏の初代にあたる松平親氏へとたどり着く。室町時代前期のころだ。2代目を泰親が継ぎ、その後は、信光、親忠、長親 (長忠) 、信忠、清康、広忠と8代続く。そして、広忠の子である家康が三河を統一して、「松平」から「徳川」へと改称することになる。
家康のルーツとなる松平親氏は、どんな人物だったのだろうか。
一説によると、松平親氏は、諸国を遍歴する時宗の僧だったらしい。室町幕府の第3代将軍である足利義満が権勢を振るうなか、上州新田荘(群馬県太田市)から流浪の旅に出たという。
人生の転機となったのは、三河国加茂郡松平郷(愛知県豊田市松平町)の松平太郎左衛門尉家に婿入りしたことにある。
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