徳川家康の祖先「愛知」に地盤築いた知られざる訳 始祖「松平親氏」とはどんな人物だったのか

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愛知県豊田市にある松平親氏の像(写真:エジ/PIXTA)
大きな反響を呼んだNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の余韻がまだ冷めやらないが、来年の2023年からは「どうする家康」がいよいよスタートする。長きにわたる戦乱の世に終止符を打って江戸幕府を開いた、徳川家康。いかにして「天下人」までのぼりつめたのか。また、どのようにして盤石な政治体制を築いたのか。
新連載『なぜ天下人になれた?「人間・徳川家康」の実像』では、家康を取り巻く重要人物たちとの関係性を紐解きながら「徳川家康」に迫る。

家康のルーツとなる「松平親氏」とは?

関ヶ原の戦いで西軍を破った徳川家康は1603(慶長8)年、征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開く。この時点から、15代将軍の徳川慶喜が「大政奉還」を行い、朝廷に政権を返上するまでの実に265年間を「江戸時代」と呼ぶ。

太平の世を築いた大将軍――。そう称される家康が誕生したのは、天文11(1543)年12月26日のこと。家康の父は岡崎城主である松平広忠であり、家康は岡崎城で誕生している。

家康の祖先をたどっていくと、松平氏の初代にあたる松平親氏へとたどり着く。室町時代前期のころだ。2代目を泰親が継ぎ、その後は、信光、親忠、長親 (長忠) 、信忠、清康、広忠と8代続く。そして、広忠の子である家康が三河を統一して、「松平」から「徳川」へと改称することになる。

家康のルーツとなる松平親氏は、どんな人物だったのだろうか。

一説によると、松平親氏は、諸国を遍歴する時宗の僧だったらしい。室町幕府の第3代将軍である足利義満が権勢を振るうなか、上州新田荘(群馬県太田市)から流浪の旅に出たという。

人生の転機となったのは、三河国加茂郡松平郷(愛知県豊田市松平町)の松平太郎左衛門尉家に婿入りしたことにある。

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