大河で描かれぬ徳川家康「17歳、初陣」から凄かった 今川義元を満足させた、したたかな戦いぶり

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今回は徳川家康の初陣について見ていきます(写真:chieko.k/PIXTA)
NHK大河ドラマ「どうする家康」がいよいよスタートして、注目が集まっている。長きにわたる戦乱の世に終止符を打って江戸幕府を開いた徳川家康が、いかにして「天下人」までのぼりつめたのか。また、どのようにして盤石な政治体制を築いたのか。
家康を取り巻く重要人物たちとの関係性を紐解きながら「人間・徳川家康」に迫る連載『なぜ天下人になれた?「人間・徳川家康」の実像』の第4回は、家康の初陣と桶狭間の戦いでの活躍について解説する。

17歳で初陣を迎えた徳川家康

鮮烈なデビューを果たすか、ほろ苦い初戦となるか。人生で初めて戦闘に参加する「初陣」は、どんな武士にとっても特別なものに違いない。

初陣は元服前後の10代前半で迎えることが多い。徳川家康は、初陣を17歳のときに迎えている。他の武将に目を転じれば、上杉謙信は13歳、織田信長は14歳で初陣を経験した。一方で、毛利元就のように20歳で初陣を果たすケースもある。家康の17歳はデビューの年としてはやや遅めだが、特筆するほどでもないだろう。

時期としては、永禄元年(1558)2月のことであり、家康が「松平元康」と名乗っていたころである。家康が14歳で元服し、正式に今川氏の配下となってから、3年後のことだ。ちょうどこの時期に、今川義元は嫡男の氏真に家督を譲っている。家康は、今川家の若きリーダーを支えるべく期待されるなか、初陣を迎えることになった。

家康が立ち向かうことになった相手の名は、寺部城主の鈴木重辰。重辰が尾張の織田方へと寝返ったため、討伐するべしと今川義元に命じられて、家康が出陣している。

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