大河好評!松本潤「どうする」と悩んだ"その人生" かよわきプリンス「家康」と松潤の意外な共通点
「もう嫌じゃ!」という第一声に始まり「どうしたらええんじゃ!」で終わった第1話。戦を怖がり、重要な局面で逃げ出すなど、異色の家康像だった。しかし、松本潤ファンとしては少し懐かしさも感じた。
『どうする家康』の脚本を担当する古沢良太はこう語っている。
「僕が家康を『ナイーブで頼りないプリンス』と捉えたとき、松本潤さんが一番ぴったり」(『大河ドラマ「どうする家康」×TVガイド 徳川家康 HISTORY BOOK』2022年、東京ニュース通信社)
この言葉がしっくりきた人は、古くからの松本潤ファンだろう。逆に「マツジュンってどちらかというとオラオラな感じじゃない?」と違和感を持った人は、嵐のブレイク後のイメージを強く持っているといえる。松本のパブリックイメージは「天才」「器用」「強い男」といったところかもしれない。
その違和感を埋めるべく、松本潤が大河ドラマ主演に至るまでを駆け足で振り返ってみよう。
10代の頃は現場で泣いていた
1996年、小学校卒業の日にジャニーズ事務所に履歴書を送った松本。中1の夏にはジャニーズJr.として先輩のコンサートのバックで踊るようになり、中2になると俳優として単発ドラマに出演している。本人は当時をこう振り返っている。
「単発ドラマに出たときなんて、それまで芝居もしたことがないから、まるっきりわけがわからなかった。オレ、監督に泣かされたんだよ。全然芝居ができなくて『くやしい!』って思ったけど、どうすればいいのかわからなかった。あの現場はつらかったね」(『アラシゴト』2005年、集英社)
まだ10代の少年だったとはいえ、現場で泣いていたとは、今の彼からはなかなか想像しづらいエピソードである。
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