とはいえ、闇雲に突っ込んでいくようなことはしていない。織田家の城に火を放ち、攻めると見せかけて、一方で150頭の小荷駄(馬)に450俵の米を積んで、決死の覚悟で大高城に兵糧を搬入。なんとか任務をやり遂げたと伝えられている。
家康といえば「狡猾なタヌキ親父」というイメージばかり語られるが、青年時代は勇猛な武将として鮮烈なデビューを飾った。そればかりか、「桶狭間の戦い」という重要なターニングポイントにおいて、与えられた役割をきちんと果たしていたのである。
しっかり情報収集をしたうえで脱出
だが、運命はいつでも急転する。家康は大高城でまさかの一報を受ける。総大将の今川義元が、織田軍に討たれて命を落としたというのだ。
情報の真偽を測りかねていると、家康のもとに、外伯父の水野信元から浅井道忠が使者として送られてきた。使者は信長にこう述べたという。
「今川義元が討ち死にした。織田勢が来襲する前に城から退くべし」
水野信元といえば、家康の母・於大の兄にあたる。諸説あるが、この信元が今川家を裏切って織田家についたばかりに、家康の父母は離縁することになったともいわれている(前回記事『織田へ金で売られた「徳川家康」不遇すぎる幼少期』参照)。
家康は夕方に情報を寄せられてからもすぐには動かず、しばらく様子を見ることにした。そしてさらに情報を収集したうえで、夜半に大高城を脱出。この慎重さこそが、家康を何度となく窮地から救うことになる。
ピンチはチャンスの裏返し――。家康にとって今川義元の死は茫然とするほど衝撃的だったに違いない。だが、これを機に家康は、今川家の支配から逃れて、岡崎城を拠点に独立を果たすのだった。
【参考文献】
大久保彦左衛門、小林賢章訳『現代語訳 三河物語』(ちくま学芸文庫)
宇野鎭夫訳『松平氏由緒書 : 松平太郎左衛門家口伝』(松平親氏公顕彰会)
平野明夫『三河 松平一族』(新人物往来社)
所理喜夫『徳川将軍権力の構造』(吉川弘文館)
本多隆成『定本 徳川家康』 (吉川弘文館)
柴裕之『青年家康 松平元康の実像』(角川選書)
二木謙一『徳川家康』 (ちくま新書)
菊地浩之『徳川家臣団の謎』(角川選書)
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