鉱山の直営化に尽力した大久保長安
新しい社会をつくっていくにあたって、財政の問題は避けては通れない。徳川幕府を開いた家康が、京都所司代の板倉勝重と同様にその実力を評価していたのが、行政を担った大久保長安である(板倉勝重については前回記事:『身内に甘い家康が「実力で重宝した」ある男の凄さ』を参照)
この長安への処遇からも、家康が家臣との人間関係において何を重視したかがよく理解できる。それと同時に、家臣が不正を働いたとき、どのように対応したかもこのケースからはうかがい知れる。
家康は京都、伏見、堺、奈良、伊勢山田、長崎などの主要都市に奉行を置いて、直轄化して支配を進めた。とりわけ重要な京都所司代には、奥平信昌を任命。その後、板倉勝重がその任を引き継いでいる。
それと同時に、鉱山の直轄化も推進した。佐渡金山、石見銀山、生野銀山、甲斐黒川金山、伊豆各地の金銀山などである。その経営を任されたのが、代官頭の大久保長安だった。


















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