NHK大河ドラマ「どうする家康」の放送で注目を集めた「徳川家康」。長きにわたる戦乱の世に終止符を打って江戸幕府を開いた家康が、いかにして「天下人」までのぼりつめたのか。また、どのようにして盤石な政治体制を築いたのか。家康を取り巻く重要人物たちとの関係性をひもときながら「人間・徳川家康」に迫る連載『なぜ天下人になれた?「人間・徳川家康」の実像』(毎週日曜日配信)。今回は番外編として、身内に甘かった家康が、血縁ではなく実力で重宝したある男について紹介します。
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「初代・京都所司代」は自分の身内に
豊臣家の影響力はまだ色濃いものの、関ヶ原の戦いに勝利したことで、実質的に武家のリーダーとなった家康。これから新しい組織をつくろうしたときに、どんな人事を行ったのだろうか。
「京都所司代」というポジションに注目すると、家康が重視した人間関係が見えてくる。
京都所司代とは、京都の監視と治安維持のために、もともと織田信長が置いた職名のこと。近畿8カ国の訴訟を処理するだけではなく、朝廷や西国大名を監視するという重要な役割も担っており、幕府の老中につぐ最重要役職とされていた。
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