身内に甘い家康が「実力で重宝した」ある男の凄さ 京都所司代を19年にもわたって務めた実力者

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新たに駿府町奉行を命じられた家康の家臣、彦坂光正に対して、勝重はこんなアドバイスをしたとも伝えられている。

「町奉行の守るべきことはただ1つ、町人から賄賂を受け取らないことだ」

賄賂を一切、受け付けなかった勝重は、係争者から賄賂として浅瓜を贈られたときは、そのことを公にしたうえで、公平にジャッジし、敗訴を言い渡している。

京都所司代に任命されるやいなや、妻に仕事への口出しを禁じたのも、妻への賄賂を無効化するためだったというから、徹底した清廉潔白ぶりである。

親子ともに名奉行ぶりを見せた

勝重はもともと僧侶だったが、父が討ち死にしたことから、板倉家は断絶。そんなときに勝重を家臣として召し抱えてくれたのが、家康だった。

勝重が家康に仕えたのは天正9(1581)年で、家康が甲斐の武田勝頼と戦を行っていた頃だった。

召し抱えられたとき、勝重はすでに37歳だったが、その後、家康の信用を勝ち取って、順調に出世を重ねている。

42歳で駿府町奉行に任じられ、その4年後に、家康が関東に移封すると、関東代官、小田原地奉行、江戸町奉行を命じられている。いざというときに、家康が頼りにしていることがよくわかる。

57歳の時に京都奉行となり、その2年後に京都所司代に就任。76歳まで続けたあとに、息子の重宗に京都所司代の職を譲った。

重宗もまた名奉行として活躍したため、勝重と重宗の二人による名奉行話が庶民によって集められ、元禄期に『板倉政要』としてまとめられている。

戦乱に明け暮れた戦国時代において庶民が何より願ったのが、安心して暮らせる社会であることはいうまでもない。家康は信頼できる家臣に、治安を取り仕切る重要なポジションを任せることで、新たな時代にふさわしい、安定した社会基盤をつくろうとしたのである。

【参考文献】
大久保彦左衛門、小林賢章訳『現代語訳 三河物語』(ちくま学芸文庫)
大石学、小宮山敏和、野口朋隆、佐藤宏之編『家康公伝〈1〉~〈5〉現代語訳徳川実紀』(吉川弘文館)
本多隆成『定本 徳川家康』(吉川弘文館)
笠谷和比古『徳川家康 われ一人腹を切て、万民を助くべし』 (ミネルヴァ書房)
丹野顯『江戸の名奉行43人の実録列伝』(文春文庫)
本郷和人「【本郷和人の日本史ナナメ読み(70)】どケチ家康、娘婿には甘かった?」(産経ニュース2016年1月18日)

真山 知幸 著述家

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まやま ともゆき / Tomoyuki Mayama

1979年、兵庫県生まれ。2002年、同志社大学法学部法律学科卒業。上京後、業界誌出版社の編集長を経て、2020年独立。偉人や歴史、名言などをテーマに執筆活動を行う。『ざんねんな偉人伝』シリーズ、『偉人名言迷言事典』など著作40冊以上。名古屋外国語大学現代国際学特殊講義(現・グローバルキャリア講義)、宮崎大学公開講座などでの講師活動やメディア出演も行う。最新刊は 『偉人メシ伝』 『あの偉人は、人生の壁をどう乗り越えてきたのか』 『日本史の13人の怖いお母さん』『逃げまくった文豪たち 嫌なことがあったら逃げたらいいよ』(実務教育出版)。「東洋経済オンラインアワード2021」でニューウェーブ賞を受賞。

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