NHK大河ドラマ「どうする家康」の放送で注目を集める「徳川家康」。長きにわたる戦乱の世に終止符を打って江戸幕府を開いた家康が、いかにして「天下人」までのぼりつめたのか。また、どのようにして盤石な政治体制を築いたのか。家康を取り巻く重要人物たちとの関係性をひもときながら「人間・徳川家康」に迫る連載『なぜ天下人になれた?「人間・徳川家康」の実像』(毎週日曜日配信)の第51回は親の愛情不足で育った3代将軍家光を救った、春日局や家康とのエピソードを紹介する。
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跡継ぎなのに両親に疎まれた家光
徳川家康は、自分の死後のことを考えて、息子の秀忠を早めに将軍に就任させた。自らは大御所となり、秀忠と二人三脚で政務にあたることで、秀忠に「将軍見習い期間」を与えたのである。
しかし、家康はさらにその先のことまで考えていた。秀忠の次に誰を将軍にするかである。順当にいけば、秀忠の長男・家光が後を継ぐことになるはずだが、秀忠の考えは違ったようだ。秀忠は長男の家光を疎んじて、次男の国松を可愛がったという。
もちろん、最初は秀忠も、家光を後継者にと考えていた。幼名に「竹千代」とつけたことからも、その期待の大きさが伝わってくる。
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