NHK大河ドラマ「どうする家康」の放送で注目を集める「徳川家康」。長きにわたる戦乱の世に終止符を打って江戸幕府を開いた家康が、いかにして「天下人」までのぼりつめたのか。また、どのようにして盤石な政治体制を築いたのか。家康を取り巻く重要人物たちとの関係性をひもときながら「人間・徳川家康」に迫る連載『なぜ天下人になれた?「人間・徳川家康」の実像』(毎週日曜日配信)の第44回は、家康が秀吉家臣団の中で、つねに気を遣った前田利家について解説する。
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秀吉の死に家康がまずやったこと
慶長3(1598)年8月18日、天下統一を果たした豊臣秀吉が、伏見城にて62年の生涯を終えた。秀吉の死が、徳川家康の人生にとって、大きなターニングポイントとなったことは、言うまでもないだろう。
家康の生涯については、2023年の大河ドラマ「どうする家康」で取り上げられたことで、ますます多くの人に知られることとなったが、返す返すも語るに値する数奇な人生である。
幼少期は人質として今川家と織田家の間を行き来し、「桶狭間の戦い」で今川義元が討たれたのを機に岡崎城で独立。織田信長と清州同盟を結び、明日をも知れぬ戦乱の世において、一蓮托生の関係を築いた。その信長が「本能寺の変」で倒れると、「小牧・長久手の戦い」で秀吉と一戦を交えたのち、臣従の道を選んでいる。
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