NHK大河ドラマ「どうする家康」の放送で注目を集める「徳川家康」。長きにわたる戦乱の世に終止符を打って江戸幕府を開いた家康が、いかにして「天下人」までのぼりつめたのか。また、どのようにして盤石な政治体制を築いたのか。家康を取り巻く重要人物たちとの関係性をひもときながら「人間・徳川家康」に迫る連載『なぜ天下人になれた?「人間・徳川家康」の実像』(毎週日曜日配信)の第35回は、家康が小牧・長久手の戦いで大勝利を収めた理由を解説する。
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秀吉と家康が激突することに
いつかは戦わなければならない相手になるだろう――。
織田信長を通じて邂逅した徳川家康と豊臣秀吉は、互いが力を持つにつれて、そんなふうに意識したことだろう。信長が「本能寺の変」で命を落としたことで、いよいよ、二人は激突することとなった。天正12(1584)年の「小牧・長久手の戦い」のことである。
秀吉からすれば、あとは家康さえ叩いてしまえば、という思いが強かったことだろう。
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