「茶道は未来をつくるためのもの」、千玄室氏が102年の生涯で伝え続けた《和敬清寂》の精神

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
千玄室
国連の潘基文事務総長(当時)らをもてなす千玄室氏(写真:AP/アフロ、2008年撮影)
終戦記念日の前日に当たるお盆の8月14日、茶道裏千家前家元の千玄室氏(以降、千氏)が京都市内の病院で逝去した(享年102)。
「5月に転倒し腰を強く打ち、入院していた」と報じられたが、筆者は6月1日に東京で千氏に会った際、つえすら使わずに歩く矍鑠(かくしゃく)とした姿を拝見している。それだけに、この訃報は今も信じがたい。
千氏は茶道を通じ、生涯にわたり戦争のない世界を訴え続けた。その人生は、茶人の枠を超え、思想家、教育者、そして国際的な平和活動家としての側面を持っていた。本稿では、千氏の102年の生涯について前後編に分けて振り返っていきたい。
前編:【追悼】千玄室氏(享年102)、稀代の「行動派家元」を生んだ"特攻隊"そして"同志社"という2つの原体験
(外部配信先ではハイパーリンクや画像がうまく表示されない場合があります。その際は東洋経済オンラインでご覧ください)

国際活動の原点となった戦争直後の経験

長寿の秘訣は、前編で紹介したような「身体の管理」だけではない。精神面のアンチエージングだ。

千氏の生涯にわたる平和活動は、つねに前向きな生き方を維持した。世界各地で茶をたて続けた行動は、自身の使命感を燃やし続け、心身の活力を保つ原動力にもなった。千氏に見る健康の秘訣であり、長寿の要因は、日々の運動、食生活、そして生きがい、という3つの要素が組み合わさった「三位一体」にあるといえよう。

戦後間もない頃、進駐軍の兵士に茶道を教える父・淡々斎の姿に衝撃を受けた。「昨日の敵」が畳の上で茶を飲みながら、互いを尊重し心を通わせることで、よりよい関係を築き対等に交流できる「和敬清寂」の力を実感したという。この体験が、千氏の国際活動の原点となった。

以降、世界各地で茶道を通じた交流を重ねていく。ハワイ・真珠湾の戦艦アリゾナ記念館での献茶式では、かつての戦場に平和の象徴として一碗を捧げた。ウクライナの首都キーウでの茶会では、紛争地においても文化が対話の場を生むことを示した。

次ページ「畳の上では言葉を超えた理解が生まれる」
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事