「茶道は未来をつくるためのもの」、千玄室氏が102年の生涯で伝え続けた《和敬清寂》の精神

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戦争を体験した千氏にとって、茶道は平和哲学そのものであった。千氏は茶を介して互いを敬い、譲り合う心があれば、国同士の争いも避けられると考えた。お茶を勧め合うときの「どうぞ」という気持ちこそが真のおもてなしであり、世界に伝えるべき日本の精神であると語っていた。

その実践として、千氏は国際連合の関連機関や各国の文化団体とも連携し、国際理解の促進に努めた。国際茶道文化協会の設立、海外での茶道に関する講演、各国の要人との交流など、文化外交の担い手としての役割を果たした。

千氏の思想的立場は、単純化された保守主義や伝統主義では語り尽くせない。氏は日本会議にも参加していたが、その姿勢は排外主義とは一線を画していた。伝統文化を守りながらも、国際社会との対話を重視する姿勢が際立っていたのである。

「畳の上では言葉を超えた理解が生まれる」

茶道という枠組みの中で、千氏は「国家愛」と「国際理解」の両立を試みた。これは、茶道の精神、戦争体験から得た「命の尊厳」への深い洞察と、同志社で育まれたキリスト教的価値観(個人の尊厳、隣人愛、平和)が融合した結果である。

講演や著作では、「茶道は日本の精神文化の結晶であり、世界に通じる普遍性を持つ」と繰り返し語る一方で、「茶道は閉じた伝統ではなく、開かれた対話の場であるべきだ」とも述べている。

「茶室は小さな空間だが、そこには世界がある。畳の上で向き合えば、言葉を超えた理解が生まれる」

この言葉に、文化を通じた平和構築の哲学が凝縮されている。千氏は茶道を単なる儀式ではなく、「人と人が心を通わせる場」として位置づけていた。

千氏は、2002年に家元を長男の千宗室氏に譲った後も、「大宗匠」として国内外での活動を続けた。晩年に至るまで「空飛ぶ家元」と呼ばれるほど世界を飛び回り、茶道を通じた平和のメッセージを発信し続けた。

裏千家の海外拠点は2021年時点で37の国・地域に112カ所。1970年には茶道留学制度を設け、多くの外国人が京都の裏千家で日本文化を学んだ。

晩年には、東日本大震災被災地の避難所を訪れ、茶をたて、被災者と語り合った。ある高齢女性が「このお茶が、どんなに心を癒やしてくれたことか」と語ったことに、千氏は深く感銘を受けた。

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