大河「べらぼう」で注目の十返舎一九、下ネタ満載の大ヒット作『東海道中膝栗毛』 児童書では描かれない「弥次さんと喜多さん」の素顔

✎ 1〜 ✎ 43 ✎ 44 ✎ 45 ✎ 46
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
弥次喜多像(写真:soulman / PIXTA)
弥次喜多像(写真:soulman / PIXTA)
NHK大河ドラマ「べらぼう」では、江戸のメディア王・蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)を中心にして江戸時代中期に活躍した人物や、蔦重が手がけた出版物にスポットライトがあたっている。連載「江戸のプロデューサー蔦屋重三郎と町人文化の担い手たち」の第46回は、『東海道中膝栗毛』の作者・十返舎一九(じっぺんしゃ いっく)について解説する。
著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。

武士を辞めて戯作者の道へと突き進んだ

おっちょこちょいな弥次さんと喜多さんの2人組が、行く先々でトラブルを起こし、東海道を通って江戸から京都・大坂へ旅をする――。

そんなお笑い要素満載でありながら、旅行ガイドとしても役に立つ『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』。作者の十返舎一九を大河ドラマ「べらぼう」では、井上芳雄が演じている。どんな人物だったのだろうか。

十返舎一九は明和2(1765)年、駿河国府中(現在の静岡県静岡市葵区)で、下級武士の子として生まれた。本名は重田貞一。

若くして江戸に出て武家奉公をしたのちに、天明7(1787)年には大坂に移り住んでいたようだ。一説には、江戸で駿府町奉行の経験を持つ旗本・小田切直年に仕えて、小田切が大坂町奉行に就くとともに、上方に赴任したともいわれる。

大坂では浄瑠璃を学び、「近松余七」の名で『木下蔭狭間合戦』(このしたかげはざまがっせん)という合作浄瑠璃を作った。私生活では、材木商に入り婿としたものの、逃げ出したとも言われている。

次ページやがて…
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事