【べらぼう】「発想力は他人が到底及ばない」と蔦重を絶賛した、頼れるパートナーの宿屋飯盛とは何者か?

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石川雅望墓(写真:髙橋義雄 / PIXTA)
石川雅望墓(写真:髙橋義雄 / PIXTA)
NHK大河ドラマ「べらぼう」では、江戸のメディア王・蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)を中心にして江戸時代中期に活躍した人物や、蔦重が手がけた出版物にスポットライトがあたっている。連載「江戸のプロデューサー蔦屋重三郎と町人文化の担い手たち」の第30回は、「狂歌四天王」の一人で、蔦重と親交のあった狂歌師・宿屋飯盛(やどやの・めしもり)について解説する。
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旅館を家業とする家で生まれて多岐にわたる活動

大河ドラマ「べらぼう」で、芥川賞受賞作家でお笑い芸人の又吉直樹が演じて話題になっているのが、狂歌師・宿屋飯盛(やどやの・めしもり)こと石川雅望(いしかわ・まさもち)である。蔦重のことをよく知るこの人物は、一体何者なのか。

宿屋飯盛は宝暦3(1754)年12月14日、江戸で生まれた。本名は糠屋七兵衛(ぬかや・しちべえ)といい、後に石川五郎兵衛に改めている。

父は浮世絵師の石川豊信で、36歳の頃に江戸の小伝馬町で旅籠屋(はたごや)を営む糠屋七郎兵衛の婿養子となった。旅籠屋とは、旅行者を宿泊させる食事付きの宿屋のこと。当時の小伝馬町は、訴訟のために江戸に出てきた人々が宿泊する「公事宿(くじやど)」が多い場所として栄えていた。

父・豊信の5男として生まれた飯盛は、そんな家業にちなんで狂歌師としては「宿屋飯盛」と名乗った。また国学者としては「石川雅望」の名で活動したほか、六樹園・五老山人・逆旅主人・蛾術斎など多数の号を持つことで知られる。

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