蔦重の人間性について伝える史料は乏しい。それだけに、この碑文は長年にわたって協力関係を築いてきた飯盛だからこそ書けた、蔦重の人物像を伝える貴重な史料となっている。
「寛政の改革」で処分を受ける
精力的に創作活動を行った飯盛。だが、老中の松平定信による「寛政の改革」が行われると、他の創作者たちと同様に、理不尽な処分を受けている。あろうことか「地方から訴訟のため江戸に出てきた者に、訴訟の便宜を計ると持ちかけて、不当な金銭を強制した」という疑いをかけられると、飯盛は家財を没収され、江戸から追放されてしまったのだ。
結局、よく調べてみれば、冤罪だったというからふざけた話だが、飯盛はその間に国学の勉強に励み、その後の学術活動につなげている。
思えば、蔦重も洒落本・黄表紙が松平定信から問題視されて摘発されると、それを契機に浮世絵の出版へと方針を転換している。
転んでもただでは起きない――。そんな逆境に強い点でも、蔦重と飯盛はよく気が合ったのではないだろうか。
【参考文献】
松木寛『新版 蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者』(講談社学術文庫)
鈴木俊幸『蔦屋重三郎』 (平凡社新書)
鈴木俊幸監修『蔦屋重三郎 時代を変えた江戸の本屋』(平凡社)
倉本初夫『探訪・蔦屋重三郎 天明文化をリードした出版人』(れんが書房新社)
小沢詠美子監修、小林明「蔦重が育てた「文人墨客」たち」(『歴史人』ABCアーク 2023年12月号)
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