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宮内義彦氏(オリックス シニア・チェアマン)の証言 第4回「宣伝費扱いは限界だった」「球団再編騒動の舞台裏」

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2リーグ12球団から1リーグ10球団へ──。今から約20年前、プロ野球界に激震が走った。球団オーナーとして体感した騒動の本質とは?

オリックス シニア・チェアマンの宮内義彦氏
宮内義彦(みやうち・よしひこ)/オリックス シニア・チェアマン。1935年生まれ。日綿実業(現双日)を経て64年オリエント・リース(現オリックス)に創業メンバーとして入社。80年社長、2000年会長兼グループCEO。14年から現職(撮影:今井康一)
規制改革、ガバナンス改革の旗振り役として活躍したオリックス シニア・チェアマン、宮内義彦氏。その証言を4回に分けてお届けする
21世紀に入ってから25年ほど経過した。この四半世紀を振り返り、その間の主な出来事や経済社会現象について、当事者たちの声を掘り起こしていく

2004年にプロ野球再編問題があった。この大騒動には多くの役者がいた。見方はいろいろある。

ただ経営の視点でいうと、あの問題は単純。あのときまでのプロ野球経営は、いびつだった。いい事業をしていたのは、読売さんだけではないか。ジャイアンツと対戦することでいい思いができるというのがセ・リーグの5球団。それに対してパ・リーグは全球団が持ち出しだった。親会社の宣伝になるから赤字でもいい、という状態が何十年と続いていた。

親会社の意向でオーナーが替わることはたびたびあったが、近鉄がやめる、それから天下のダイエーの経営がおかしくなる、ということが同時に来たのが04年。球団数が減ったら2リーグ維持は無理だから1つにするしかない、というのが話のすべてだ。

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