
規制改革、ガバナンス改革の旗振り役として活躍したオリックス シニア・チェアマン、宮内義彦氏。その証言を4回に分けてお届けする
1995年、村山富市内閣の行政改革委員会規制緩和小委員会に参与として参加し、翌年に座長を拝命した。それから12年ほど、規制改革に関する組織の座長、委員長、議長を務めてきた。
戦後経済は官主導で業界の隅々まで規制の網が張り巡らされていた。免許制度や業法で縛って、資源配分をすべて政府が決めていた。戦争に負け、平和主義、経済優先で復興を果たしていく。これは非常に成功した。しかし、1990年代に入るとあらゆるところで古い仕組みが窮屈になっていた。これを変革するのが、規制改革の取り組みだった。
既得権益は、民間にも深く根を張っている。いろいろなところから矢が飛んできたものだ。実は3回ほど政府が私を辞めさせようとしたことがある。首切りに来るのは毎回、規制改革の担当大臣。巧妙に宮内降ろしをやってきた。
日本人は改善ができても改革ができない
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