「そして、喜多川歌麿は蔦重のもとを去った」 歌麿をスターの座に押し上げた”蜜月時代”の傑作美人画と最強タッグ決別の背景

おいらん行列(写真:健一郎 / PIXTA)
今年の大河ドラマ『べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~』は横浜流星さんが主演を務めます。今回は喜多川歌麿の野心について解説します。
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遊女描いた美人画の秘密
寛政4・5年頃(1792・1793年)、喜多川歌麿は、コンパクトな美人画組物(6枚程の小組物)を描いています。遊女を描いた「玉屋内 まき絹」(蔦屋刊行)もそのひとつです。
この組物には「玉屋内 まき絹」「扇屋内 花扇」「扇屋内 滝川」などのように、妓楼(遊女屋)や遊女の名が記されています。また、狂歌も記されています。この「遊女絵」は遊女の姿を描いているだけでなく、妓楼名をも書き込んでいることに「秘密」があると言われます。

妓楼や遊女の名が記されている喜多川歌麿画 『Takigawa of the Ogiya』(画像:シカゴ美術館)
そう、妓楼を宣伝する役割をも果たしているのです。これは、この「遊女絵」制作には、妓楼の経営者がスポンサー(後援者)になっていることを示しているといいます。
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