世界的な浮世絵師「喜多川歌麿」が蔦屋重三郎と手を組むようになった背景 誰が二人を引き合わせたのか?

吉原神社(写真:: Photo_N / PIXTA)
今年の大河ドラマ『べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~』は横浜流星さんが主演を務めます。今回は喜多川歌麿が蔦屋重三郎と仕事をするようになった背景について解説します。
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浮世絵にも関心を寄せた蔦重
蔦屋重三郎は、数多くの黄表紙や狂歌本の出版を担っていましたが、それだけではなく、浮世絵にも心を寄せていました。一流の浮世絵師と関係を結び、蔦屋から優れた作品を世に送り出したのです。
重三郎と交流が深かった浮世絵師と言われているのが、北尾重政でした。蔦屋は最初、吉原細見(吉原遊廓についての案内書)や、黄表紙の刊行をメインとしてきました。
黄表紙は「絵を主体とする小説」と言われるように、文章とともに、挿絵の役割も非常に大きいものがありました。蔦屋から刊行される黄表紙の挿絵の多くは、北尾重政やその門人(例えば、北尾政演や政美)が担当しています。ちなみに、北尾政演は、戯作者としても大いに活躍した山東京伝の浮世絵師としての名前です。
重三郎は、重政の弟子・政演に期待していたようで、『吾妻曲狂歌文庫』(狂歌師50人の肖像に狂歌を添えた彩色刷絵本。1786年刊行)、『吉原傾城 新美人合自筆鏡』(吉原の遊女を描いた美人画集。1783年)などに絵を描かせています。
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