GHQにさんざん煮え湯を飲まされた「日本国憲法」だったが…それでも"いいものはいい。素直に受け入れるべき"と言えた白洲次郎の胆力

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「日本国憲法」作成にまつわる白洲次郎のエピソードをご紹介します(写真:Morisot/PIXTA)
戦後、GHQから提示された草案を元に作られた「日本国憲法」。その成立過程をめぐる議論はいまだ止むことがありませんが、実際に作成の現場に立ち会った白洲次郎の功績については、あまり知られていないのではないでしょうか。
そこで本稿では、草案からの翻訳の苦労や、民政局幹部との細かなやり取りなどを、別冊宝島編集部の『知れば知るほど泣ける白洲次郎』から、一部を抜粋・編集してお届けします。

約3週間で一気に最終版になった日本国憲法

日本国憲法はGHQ側から提示されたものを元に、象徴天皇、戦争放棄、封建制の廃止、の3原則を残しつつ、一部分が修正されて最終版となった。

GHQが提示した草案は議会が一院制であったが、二院制に変わった。その間のやり取りは非常に煩雑を極めた。

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