GHQにさんざん煮え湯を飲まされた「日本国憲法」だったが…それでも"いいものはいい。素直に受け入れるべき"と言えた白洲次郎の胆力

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「それから半年以上経過した昭和21年11月3日、わが新憲法は"マッカーサー草案"にいくつかの修正を施した後、公布された。政府はこれを記念して『銀杯一組』を作り、関係者に配ることになった。

で、ぼくもホイットニー氏に届けるべく、民政局を訪問した。と、ホイットニー氏はことのほかこの贈り物を喜んだあと、ぼくに向って『ミスター・シラス、この銀杯をあと幾組もいただきたいんだが……』といい出した。

その日、ホイットニー氏の部屋には、ケージス次長以下何人かのスタッフが詰めていたが、彼のいう"幾組"という数字は、このスタッフの数をはるかに上回るものであった。

ぼくが、その点を改めてただすと、ホイットニー氏はつい、口を滑らせた。

『ミスター・シラス、あの憲法に関係したスタッフは、ここにいるだけではないんだ。日本には来ていないが、豪州時代にこの仕事に参加した人間が、まだほかに何人もいるのだよ』

つまり"マッカーサー草案"は、すでにマ将軍(※マッカーサーのこと)が豪州の地にあって、"日本本土進攻作戦"を開始したとき、その作業に取りかかり始めていたのである」

日本人が作ったと「見せかける」ための伝説

では、なぜ、1週間で作り上げたという伝説が流れているのだろうか。これについても次郎はこう解説する。

「GHQやアメリカ側が殊更『1週間で作り上げた』と強調するのは、彼らの草案が大したシロモノではなく、あくまで新憲法は日本人自身の手で作られたかの印象を内外に与えんがためであったのではないかと、ぼくは考える」(「『占領秘話』を知り過ぎた男の回想」『週刊新潮』1975年8月21日号)

次郎の言わんとするのは、たたき台はGHQが作ったが、それは大したものではなく、本当は日本人が、たたき台をもとに作り上げたのが日本国憲法であると、見せかけるために1週間で作ったという噂を流布させたということだ。

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